渋沢栄一の肖像を採用した一万円札をはじめ、紙幣の刷新まで3年余りとなった令和の日本。そこに没後1400年を迎える聖徳太子が亡霊のように現れた。

 8月中旬以降、2週間足らずの間に、現行の福沢諭吉像に交代するまで発行されていた聖徳太子像の旧一万円札の偽造紙幣が、都内各所のコンビニエンスストアドラッグストアなど130店舗以上で、約140枚使用されたのだ。

 これらの偽造紙幣には、すべてPSではじまりNで終わる実在しない記番号が印字されていたことから、同一グループによる犯行である可能性が指摘され、近年稀に見る規模の同時多発的ニセ札事件として注目された。

 しかし容疑者らは、あまりにもあっさりと捕まった。

 警視庁捜査2課は、9月8日までに、それぞれベトナム国籍で都内在住の20代チャン・ティー・チャンチャン・ナム・フォン、ター・マイン・クオンの男女3人を偽造通貨行使容疑で逮捕した。彼らの所持品や自宅などからは、偽造紙幣130枚が押収された。

自宅近くのコンビニでニセ札を…稚拙すぎる犯行手口

 犯行は稚拙そのものだったようだ。大手紙記者が話す。

「彼らは、偽造一万円札で少額の買い物をして釣銭を受け取るという方法を繰り返し、手元のニセ札を現金化していったのですが、多くの場所で、防犯カメラに顔がしっかりと映っており、結果として逮捕の決め手となった。チャン・ティー・チャン容疑者とチャン・ナム・フォン容疑者は従姉妹同士なのですが、新宿区内の彼女たちの自宅から歩いて数分の距離にある複数のコンビニ店でもニセ札が使われていた。なかには、複数回訪れて犯行に及んでいる店舗や、日常的に買い物をしていた店舗もあったようです。彼らのあまりの警戒心の無さに、『彼らがニセ札であることを認識していたことを立証することに苦労しそうだ』と漏らす捜査関係者もいるほどです」

 テレビ朝日の報道によると、7月下旬には、やはりPSではじまりNで終わる、ニセ札とみられる旧一万円札の札束を映した動画が、ベトナム人と思われる投稿者によってSNSアップされ、銀行での交換の可否を問う質問も書き込まれていたという。この投稿者が今回逮捕された容疑者のいずれかだったかどうかは不明だが、そうだとしたら不用心というしかない。

「犯人らは、これほどの大事件になるとは思っていなかったのでは」と話すのは、在日歴9年のベトナム人男性だ。

ベトナムはニセ札が非常に多く、いつの間にか財布の中にニセ札が紛れ込んでいることも珍しくありません。かといって、いちいち警察に届けたりしない。そんなことしたら没収されて損するだけですから。どうするかというと、ニセ札だとバレないように、使ってしまうのです。一種のババ抜きみたいなものです(笑)。仮にニセ札であることが相手にバレたとしても、受け取りを拒否されるだけで、通報されたりしない。3人の容疑者も、その程度の感覚だったのだと思います」(ベトナム人男性)

使用されたニセ札は本物そっくりの通称「PSシリーズ

 一方で気になるのがニセ札の出処だ。実は、PSではじまる記番号が印字された旧一万円札は「PSシリーズ」と呼ばれ、これまでもたびたび事件となっているのだ。

 紙幣鑑別機を製造している「松村エンジニアリング」代表で、北朝鮮で製造されたとされる偽100米ドル札「スーパーK」の発見者でもある松村喜秀氏が振り返る。

「今回使われたニセ札はその記番号からPSシリーズと呼ばれ、これまで何度も日本国内で発見されている。私がPSシリーズを最初に鑑定したのは、2007年9月のことだったと思います。非常に精巧な作りで手触りも本物そっくりだったが、聖徳太子の肖像画の一部にわずかにシミがあった。その直後には、都内の銀行窓口で3000万円分のPSシリーズを自分の口座に入金した人物が逮捕された事件もありました。2011年には、私が当局からの依頼で鑑定した旧一万円札がPSシリーズでした。2007年に鑑定したものとくらべ、品質はやや低くなっていた一方で、肖像画のシミは消えていました。おそらく同じ版下を使って増刷されたものだと思います。ちなみに持ち主は、PSシリーズをニセ札と知らないまま1千万円単位で所持していたそうです」

 PSシリーズが事件となったのは、日本国内だけではない。 

 2016年2月、台湾の桃園国際空港で日本人の男が預けた荷物から、旧一万円札とみられる札束が1億1900万円分見つかり、ニセ札と鑑定されている。現地メディアが掲載したニセ札の写真には、PSから始まる記番号が確認できる。男はこれらのニセ札を台湾で入手し、フィリピンのマニラに持ち込む予定だったようだ。

 また、2019年4月には、台北近郊の新北市で、旧一万円札の偽造紙幣2億2879万円分を所持したとして60代の女が逮捕されている。当時この偽造紙幣を鑑定した人物こそ前出の松村氏で、「やはりPSシリーズだった」という。台湾メディアは、女は5億円分の旧一万円札を中国から持ち込み、半数はすでに東南アジアや日本のブローカーに販売していたと報道している。

「逮捕者は犯罪組織に雇われた下っ端で、主犯はほかにいる」

 さらに「コロナ前にはまとまった量のPSシリーズが韓国に持ち込まれたと聞いている」と松村氏。PSシリーズは、日本よりもむしろ海外で大規模な事件が発覚している印象だ。

「PSシリーズの版下は、20年ほど前に中華系の犯罪組織によって制作されたとみられていて、国内より海外で流通している。一定レベル以上のニセ札は、本物の通貨に準じた価値を持っていて、違法薬物や人身売買などの違法取引に両者がニセ札と認識したうえで使用されたり、ニセ日本円とニセ米ドルが交換されたりといった形で、地下社会で流通している。鑑定で見破られたことのないニセ札は額面の7割、既に見破られたことのあるニセ札でも、額面の2~3割程度の価値を持っているといわれています。

 今回の事件で使用されたPSシリーズも、過去に刷られて周辺国でひそかに流通していたものの一部が日本に持ち込まれたのではないでしょうか。そうなると逮捕されたのはおそらく犯罪組織に雇われた下っ端で、主犯はほかにいるはず」(松村氏)

 前出の大手紙記者によると、「3人のうち、少なくともター・マイン・クオン容疑者は元技能実習生と見られ、コロナで帰国できなくなり、困窮していたもよう。残る2人の女は、当初は会社員と報じられましたが、実際は失業状態だったとの情報もある」とのこと。そこに降ってきた儲け話に、軽い気持ちで加担してしまった可能性もある。

SNSで『日本の古い紙幣で買い物してくれる人募集』という投稿が…?

 筆者は容疑者の背後関係に迫るため、ベトナム人翻訳者の協力のもと、フェイスブックにある在日ベトナム人のコミュニティで情報提供を呼び掛けた。すると、ひとりの在日ベトナム人からこんな話が寄せられた。

「5月ごろ、SNS上で『今は使えなくなった日本の古い紙幣で買い物をしてくれる人募集』という投稿を目にしました。過去の投稿を見ると偽造の在留カード学生証、他人名義の銀行口座を売っている怪しいアカウントだったので、返信しませんでしたが、ニセ札の事件をニュースで知って『もしかして!?』と思いました」

 筆者はこのアカウントへの接触を試みたが、すでに消去されていたのか、特定することはできなかった。

 一方で、あるフェイスブックの在日ベトナムコミュニティには、防犯カメラがとらえた犯人や、使用されたニセ札の画像がいくつもアップされていた。その多くは、ニセ札が使用されたコンビニなどでアルバイト店員として働くベトナム人が、店の防犯カメラの映像などをスマホで撮影したオリジナル画像で、国内で公表されていないものも含まれていた。

 そうした画像を投稿した、都内コンビニ店のアルバイト店員のベトナム人女性は、筆者の取材にこう明かした。

「8月下旬、私の店でニセ札を使った、防犯カメラに映っていた男は今回逮捕された容疑者の中に含まれていなかった。犯人は3人以外にもいるはずです」

 事件の全容解明には、警察による捜査の進展を待つしかなさそうだ。

(奥窪 優木/Webオリジナル(特集班))

事件で使用された聖徳太子が印刷された旧一万円札のニセ札