(岸 博幸:慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)

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 自民党総裁選で4人の総裁候補が毎日論戦を戦わせているが、個人的には非常に物足りなく感じている。その最大の理由は、各候補が主張する政策からは日本経済の置かれている状況に対する危機感が伝わってこないからである。

日本経済はコロナ前からずっと世界の負け組

 今回の総裁選で各候補は様々な政策を掲げているが、その中で最も重視すべきは経済政策である。コロナ対応については、感染防止と経済対策の双方についてやるべきことは明確なので、各候補の間で政策に大きな差は出ない。外交についても、米中の覇権争いという現実を踏まえると、ハト派であってもタカ派であっても対中国は厳しいラインになって当たり前なので同様である。

 従って、コロナの影響を被った企業や個人を救済する経済対策は当然必要だが、それだけではなく、来年から徐々に始まるアフターコロナに日本経済をどう蘇らせるか、つまり経済政策が最大の論点になって然るべきである。

 実際、日本経済はコロナで悪くなったのではなく、コロナはるか前から悪いままである。例えば、1994〜2019年の25年間トータルで経済のパイの大きさ(名目GDP)がどれだけ大きくなったかを見ると、日本はわずか3%しか増えていないのに対し、米国は3倍、中国は25倍、韓国は3.5倍、英国は2.4倍、フランスは2倍に拡大している。日本は過去20年以上にわたり世界の主要国の中で負け組だったのである(日本はずっとデフレに陥っているので名目GDPでの比較はフェアじゃないという反論もあると思うが、実質GDPで比較しても日本は負け組である)。

アフターコロナは大きな構造変化が進む

 かつ、アフターコロナには日本の経済社会で大きな構造変化が進むことを忘れてはならない。

 最大の構造変化はデジタル化の急速な進展である。日本は1990年代後半から世界のデジタル化の潮流に乗り遅れ続けてきたので、アフターコロナはそのツケを払うくらいに速いペースデジタル化が進むであろう。

 そこで重要なのは、一般にはデジタル化というとビジネスや行政手続きなどの効率化くらいしかイメージされていないが、実際にはビジネスや生活など経済社会のあらゆる局面に革命的な大きな変化をもたらすことである。

 それを予見させる前例を紹介しよう。

 1990年代後半から普及を始めたインターネット(=デジタル)があらゆる産業の中で最初に浸透したのは音楽産業だが、侵食から10年足らずで音楽産業の構造が全く違った形に変わってしまうという、まさに天変地異が起きたのである。

 具体的には、長年続いた業界の縦割り構造(各レコード会社がCD製造設備や流通ルートなど音楽ビジネスに必要なすべてのファンクションを自前で持ち、自社だけで縦割りにビジネスが完結)は、アップルなどのネット企業が構築したレコード会社横断的なデジタル音楽配信プラットフォームをベースとした横割りの構造に変革されてしまった。

 ちなみに、インターネットメディア産業(テレビ、新聞)や金融業の縦割り構造も横割りの構造に変えてしまったが、デジタル化が進むとは、単に効率化が進むだけでなく、こうした大変革があらゆる産業や社会生活の全局面で起きることを意味するのである。だからこそ、アフターコロナデジタルを前提として日本の経済社会のあり方を再定義することが必要になるのである。

 次に重要な構造変化は、米中の覇権争いを前提とした新しい形のグローバル化が進むことである。この覇権争いは経済面では国家システム間の競争となっており、コロナワクチンの開発プロセスがそれを象徴している。

 米国では、例えばファイザー社製ワクチンの場合、東欧とトルコからの移民が研究してきた内容をファイザー社が買い取り、そこに政府や民間が大量の資金を投入して製品化された。つまり、米国は世界中から優秀な頭脳と資金を集めて重要分野に集中投下するという、自由主義の極致と言えるモデルでグローバル競争の勝者となっている。

 一方、中国は、習近平の号令の下で国内のあらゆるリソースワクチン開発に集中投下することで製品化に成功した。いわば、国家主義の極致とも言えるモデルで勝者となっているのである。

 つまり、自由主義の極致と国家主義の極致という両極端のモデルがグローバル競争での勝ち組になっているのである。

 では日本はアフターコロナにどうするか。両極端のモデルは当然取り得ないので、その中間のどこかに位置してグローバル競争に勝てる国家システムを早急に確立しなければならないのである。

総裁選候補の中で誰が必要な改革を進めるのか

 このように考えると、アフターコロナに日本経済を再生させるために最も必要な経済政策は、構造改革を一気に進めることに尽きる

 そもそもコロナ前ずっと日本経済が低迷した最大の原因は経済の生産性が低いことであり、その背景には、生産性を向上させる主体は政府でなく民間と地方なのだからその自由度を高める改革が必要であり、かつ改革のアジェンダも20年前から明確であった(労働制度改革、公務員制度改革、電波オークション制度、農地の企業所有など)にも拘らず、それらの改革が遅々として進まなかったことがある。従って、コロナ前を繰り返さないためには、生産性の向上に向けて構造改革を進めることが不可欠である。

 それに加え、アフターコロナに進むデジタル化と新たな形でのグローバル化の現実を考えると、日本の経済社会をこれらの構造変化に適応した形に進化させるためにも、やはり構造改革を進める必要がある。

 こうした観点からは、総裁選に立候補している4人の主張はどれも弱い。

 岸田氏は再分配の強化を主張している。格差が拡大する中でその必要性は理解できるが、まずは経済を成長させて再分配の原資を確保する必要があり、かつアフターコロナの構造変化に対応するには改革が不可欠であることを考えると、改革に後ろ向き(“新自由主義からの転換”)で“成長と分配の好循環”が実現できるのか甚だ疑問である。

 高市氏は、アベノミクスを受け継ぐ姿勢を示していることは評価できるが、三本目の矢については構造改革よりも政府投資(財政出動)を重視しており(“改革から投資へ”)、それは過去の経験から難しいし、アフターコロナの構造変化への対応という観点からも不十分と言わざるを得ないのではないだろうか。

 野田氏は“子どもへの投資”を主張しており、それ自体は将来の生産性の向上に貢献するが、足元の生産性の向上をどうするのか、アフターコロナの構造変化への対応については主張が不明確である。

 三氏と比較すると、河野氏がもっとも改革に前向きであり、デジタル化の現実も分かっていると考えられるが、しかし河野氏が提示する改革項目で本当に日本経済の生産性を高められ、かつアフターコロナの構造変化に対応できるのかと考えると、まだまだ不十分と言わざるを得ない。

総裁選での骨太の政策論争と“第三臨調”の設置が必要

 歴史を振り返ると、1961年に第一臨調が、そして1981年に第二臨調(土光臨調)が政府内に設置され、それぞれの時代にこれから日本が目指すべき国家像が議論され、その実現のために必要な大規模な改革が決定・実行された。そして2001年には、臨調こそ設置されなかったが小泉政権で大改革が始まった。

 つまり、これまでは20年ごとの節目に日本の目指すべき国家像が再定義されて大きな改革が実行されてきたのである。

 今年は前回からちょうど20年後の節目の年に当たる。だからこそ、総裁選ではもっと骨太な改革の議論が行われるべきだし、総裁選の勝者は次の総理に就任したらすぐに第三臨調を設置して改革の議論を始めるべきである。政府の経済財政諮問会議が毎年策定する“骨太の方針”は、今やすっかり霞が関の官僚がやりたい政策を羅列するだけの“骨細の方針”となってしまった。官僚の堕落はしょうがないとして、政治までもがそれに付き合う必要はない。

 残り数日の総裁選での議論が骨太なものになるか、そして自民党の議員や党員がどういう基準で判断して誰に投票するかは、自民党の“底力”を示せるか、または“底の浅さ”を露呈することになるかの試金石となるのではないか。

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