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夫(当時67)とその高齢の母親が新型コロナウイルスに感染し死亡したのは、職場が安全配慮義務を怠り、クラスターを発生させたためだとして、横浜市に住む妻(64)ら遺族3人が、勤務先だった一般財団法人「防衛技術協会」に対して、約8,700万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

訴状によると、昨年3月24日頃に、男性の勤務先でクラスターが発生。4月5日に男性の感染が判明、同居する母親も感染し、母親は19日、男性は29日に病院で亡くなった。「予防措置を取っていれば男性の感染は回避できた」と訴える遺族に対して、協会側は「業務中にコロナに感染したと特定するのは困難」と反論している。

「会社には労働者の安全を確保する義務、つまり『安全配慮義務』があります。会社が適切な予防措置をとらなかったことから新型コロナウイルスに感染してしまった場合は、安全配慮義務違反が認められ、労働者は損害賠償請求をすることができます。この裁判では雇用者側がしっかりとしたコロナ対策をしていたか、勤務先でコロナに感染したと認定されるかどうかが争点になるはずです」

そう解説してくれたのは、ブラック企業被害対策弁護団代表の佐々木亮弁護士(旬報法律事務所所属)だ。はたして、コロナ禍における安全配慮義務はどこまで認められるのか、感染してしまった場合は補償を求められるのか、佐々木弁護士に聞いた。

■自宅勤務が可能なのに出社を命じられたら…

そもそも、「安全配慮義務」とはどういうものだろうか?

使用者(会社側)は労働者を指揮命令下において働かせるので、労働者の健康などに危害が生じないよう、安全な就労環境を提供する義務があります。かつては、働いていることが原因で労働者が病気になったり怪我をしたり、亡くなってしまったりした場合でも、使用者はなんの責任を負いませんでした。そこで労働契約における付随義務として、判例が積み重ねられ、今では労働者が安全で健康に働けるよう配慮することを使用者に課しているのです」

安全配慮義務とは、労働契約がなかった時代から徐々に労働者が勝ち取ってきた権利。たとえば、職場の「健康診断」や「ストレスチェック」も安全配慮義務から始まっている。最近ではセクハラやパワハラなどの裁判でも、会社側の安全配慮義務違反が認められるケースが増えた。

そこで気になるのが、感染力が強く、最悪の場合は死に至ることがある新型コロナウイルスと安全配慮義務との関係だ。コロナ禍においては、電車で通勤したり、会社などに大勢の人と集ったりすること自体がリスクとなる。

「コロナ禍において安全配慮義務違反とみなされるのは、以下の4つの条件があります。(1)感染拡大が進んでいる状況である(2)会社が何の対策も措置もとらず、漫然と出社を命じている(3)在宅勤務が可能な業務である(4)在宅勤務を行っても会社の業務遂行に影響がない(もしくは小さい)。これらの条件が重なった場合、労働者が会社の命令を拒んでも、それを理由にその労働者に、懲戒処分や解雇など不利益な処分をすることは許されません」

■1人だけ出社強要は安全配慮義務違反の可能性

東京都では緊急事態宣言が出て“いない”のは、今年になってわずか2カ月ほど。もはや有名無実化している緊急事態宣言だが、これが出ているということは、条件(1)「感染拡大が進んでいる状況である」ことに国がお墨付きを与えていると判断していいか?

緊急事態宣言は、感染拡大が進んでいることと医療提供体制のひっ迫が改善されていない状況を国が認めているわけで、当然、在宅勤務をしたい労働者としては、会社側に配慮を求める理由にはなります。とはいえ、(1)については、労使で捉え方が一致しないとトラブルの原因に。これは、会社や労働者の主観ではなく、客観的なデータ等に照らしてその時点の感染拡大状況を元に判断されます」

1年半以上にわたるコロナ禍のなか、佐々木先生のところにも「在宅勤務をしたいけど会社がさせてくれない」や「自分1人だけが出社を強要されている」といった相談が寄せられているという。そんな働く人の権利は守られているのだろうか。

「たとえば、労働者在宅勤務をする権利があるかどうかというと、就業規則や労働契約のなかには『在宅勤務をする権利』はないのが一般的で、法律上の権利はありません。先にあげた(1)〜(4)の条件を満たしているかどうかを考慮して粘り強く交渉していくしかありません。会社側に『うちは、そんなことできません』と言われると、在宅勤務を実現するのはなかなか難しいでしょう。ただし、ほかの社員が在宅勤務をしているなか、1人だけなんの理由もないのに出社を命じられていた場合は、一部の社員を差別的に扱っており、明白なハラスメントです。仮に損害が生じたら、損害賠償請求も可能です」

■非正規も安全配慮義務で守られる

安全配慮義務を理由に在宅勤務を希望したとしても、会社側が「時差通勤を認めている」「オンライン会議など感染対策をしている」としている場合には、違反とはいえない可能性もあるという。感染対策においては、無頓着な人もいれば、神経質になっている人もいるように、受け止め方には個人差があり、違反しているかどうかの線引きを複雑にしている。

「そうしたトラブルを避けるためにも、労働者と会社はしっかり話し合い、労働者の健康と安全のためにとられる措置が適切なものになるよう、認識の一致を目指すべきなのです。会社に話し合いをもちかけても応じてくれなかったり、話し合っても認識が一致しない時は、労働組合に相談したり、労働局や労働基準監督署、または都道府県にある労働関係の問題を扱っている窓口に相談するといいでしょう」

声を出しづらく、労働組合などのサポートもない派遣社員など非正規のなかには、テレワークができずに、まわりの正社員在宅勤務しているなか、感染に怯えながら働いているという話を耳にするが……。

「非正規であろうと労働者ですから、安全配慮義務で守られます。仮に違反があった場合には、しっかり会社側か派遣元に改善を要求することが重要です。ただし派遣社員の場合は、労働内容や勤務地をあらかじめ決めておく必要があります。派遣社員が在宅勤務を要望した場合、『勤務地が自宅ではない』ことを理由に会社側が拒否するケースも。そうなると勤務地に自宅を加える交渉をした上で、在宅勤務を求めていく必要があります。納得がいかない場合は、派遣社員でも入れるユニオンに入ればこうした会社や派遣元との『話し合い』をより確実に実施できます」

佐々木先生によると、コロナ禍で安全配慮義務違反が想定される具体的なケースは、以下の通りだ。

在宅勤務が可能な業務で、在宅を希望したにもかかわらず、出社必須の業務命令が出た
時差通勤をしても影響がない業務で、時差通勤を要望したが、通常出勤を命じられた
・同じ業務に関わっているにもかかわらず、他の社員はローテーションで自分だけ毎日出社
・適切な予防策をとらない状態での密室での大人数の会議や、酒席をともなう接待の業務命令

労働者の安全に配慮するのは会社の“義務”であることを忘れずに、自分と家族の健康のために、しっかり自己主張してほしい。また、今後、感染による後遺症の補償などを求める動きが広がる可能性もあるので注視していこう。