(加藤勇樹:香港企業Find Asia 企業コンサルタント

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 世界中で日本語学習者が最も多い国が中国です。しかもこの2、3年で学習者数が急増しています。

 しかし、その理由は「日本に対する関心が高まっている」という単純なものではありません。そこには、激しい競争となっている大学受験という、中国特有の背景があります。そして、日本語を学習した学生の就職先にも、以前とは違う流れが生まれています。今、中国で日本語を学ぶ、というのはどういう意味があるか、当事者のインタビューを交えてお伝えします。

急増する日本語学習者

 中国は以前から、世界で最も日本語学習者の多い国です。世界での日本語教育の推進と国際交流を推進する「国際交流基金」が2020年10月に発表した「2018年度 海外日本語教育機関調査」(https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/result/survey18.html)によると、2018年度時点で中国の日本語学習者数は約100万人でした。2位がインドネシア(約70万人)、3位が韓国(約53万人)ですが、6位のベトナム(約17万人)は2015年の前回調査から約11万人増(約2.7倍)と、急速に増えているのが目立ちます。一方中国は3年前にあたる前回調査(2015年)から約5万人増と増加が緩やかでした。

 ところが、2018年以降、中国における日本語学習者数は急増し、2021年までの3年間で20万人以上が増加したと筆者は推測しています。

「20万人」という推測の一つの根拠は、近年の中国大学入試における日本語選択受験者数の増加です。中国の全国共通大学入試である「高考」では、外国語が必修科目となっていますが、英語だけでなく日本語、ロシア語スペイン語といった科目も選択できます。このうち日本語を選択する受験生の数が2016年からの5年間で、20倍以上増加しました。

 中国の日本語教育はもともと中国東北地方の高校や大学が中心でした。特に黒竜江省の鶏西市は中国全土でも名が知られるほどの日本語教育の街です。

 ところが、現在の日本語学習者の増加はこれまでとは異なる地域に大きな動きが見られます。学習者数が多い地域は広東省(省都は広州市)、浙江省(省都は杭州市)、江蘇省(省都は南京市)など、東部や南部の、都市化率の高い地方に移りつつあります。

 つまり、現在の「日本語学習熱」は、大学受験生における日本語熱と言える状況なのです。

入試科目で日本語を選ぶ3つの理由

 高校生が入試の外国語科目で日本語を選択する理由は主に3つが考えられます。

 第一は、教育改革の一環として、中国全土で施行されつつある「双减」(家庭と生徒の負担軽減政策)の影響です。「双减」政策によって、課外時間での補修クラスや学習塾の受講など、生徒が勉学に費やす時間に一定の制限が課されることになりました。これにより、英語学習塾などの受験対策を担ってきた教育産業は転換を求められています。受験生もより効率の良い受験対策が必要となりました。

 第二の理由は、日本語受験の難易度の低さです。高考の試験範囲は英語だと約4000語ですが、日本語だと約2500語と少ないことに加え、中国語の類似性から学習が比較的容易です。2015年からの高考試験結果追跡調査からも、この結果は明らかです。150点満点の外国語科目で、日本語選択者は英語選択者よりも25点から30点高い試験成績を収めています。

 第三の理由は、日本語を習得した人材の就職先の変化です。2010年代前半まで、日本語を勉強した学生にとっては日系企業への就職が一般的でした。しかし中国系企業が日本市場に進出するにつれて、就職環境は大きく変わりつつあります。

 一方日本語教師として教育機関に採用された場合、基本給は日系企業と変わらないうえに、最近若者を悩ませている住宅が提供されるなど、手厚い待遇が行われているようです。学生にとって日本語教師は、経済的な安定が保証されているように見える状況になっています。

教育現場から見た学生たちの変化

 現在、中国の日本語教育はどのようになっているのか。中国だけでなく世界中の学生たちに日本語教育を行ってきた笈川幸司氏にお話をうかがいました。笈川氏は2001年に中国に渡り、清華大学や北京大学などの名門大学で日本語教育に携わった経験を持ちます。

――高校生を中心に日本語熱が高まっているようですね。

笈川氏 はい、そのように感じています。ただ、高校で日本語を教えている教師の多くは、民間の補習校や教育関係企業から派遣されています。そのため、すぐに撤退できるような体制で運営しているという声もよく聞きますし、教育システム自体がぜい弱であると感じます。近年の行政による教育制度改革を目の当たりにしていることもあり、不安と戦いながら教鞭をとっているというお話もよく聞きます。

 高校生の中にはアニメをはじめとしたコンテンツをきっかけに日本へ興味を持っている学生もいますが、大多数は「大学受験のため」という目的で日本語を勉強しているのが現状です。この目的意識が変わらないと、受験勉強終了と同時に日本語学習を打ち切ってしまいます。

――大学入学後に日本語を学習する大学生の状況はどうでしょうか。

笈川氏 高校や学習塾における日本語人口が増えている半面、日本語専攻の大学生は非常に厳しい状況にあります。多くの日本語専攻の学生は、日本への交換留学という目標に加えて、身近に日本語教師や日本人学生と交流できることが学習意欲につながっていました。

 ところが昨年以降、留学の可能性がほとんど断たれてしまったうえ、日本人とまったく話す機会がないまま卒業してしまう学生も増えています。多くの学生が貴重な学習機会を喪失したまま卒業しているのが現状です。

 一方、日本語専攻学科の単位要件で日本語検定1級を課していた大学が、2級または3級でも単位習得を認可するなど、学生に求められる基準が年々低くなりつつあるように感じます。

――日本語専攻の学生の進路も変わってきているのでしょうか。

笈川氏 その通りです。学生を送り出す立場から見ると、日本語専攻学生の在中日系企業への就職がますます難しくなっているのがわかります。これは日本式のビジネスマナーなどを学生時代に習得するのが難しくなったこともありますが、中国系企業との競争の中で在中日系企業が求める学生像と、現在の学生が合わなくなってきているからでしょう。

 日本語専攻学生の卒業後の進路として、日本語教師の需要は増加しつつありますが、本来ならば学生たちにももっと自由なキャリア選択ができるように、日本語教育全体にも改善が必要です。

――日本語教師の側も状況が変わっているのでしょうか。

笈川氏 日本語教師の給与が上昇しているとか、好待遇での雇用があるという報道がされていますが、現状にあっていないように思います。高給に見えるのは、日本人の在中日本語教師がコロナ下の現状で急減した結果、希少価値が生まれたからです。市場内の食い合いの結果であり、健全な状況とは言えません。中国で雇用されていた日本人教師のビザや労働契約の許可が下りない例や、契約が延長できなくなるといった例も耳にしています。

楽しんで日本語を勉強している学生も

笈川氏 厳しい面をお話ししてきましたが、日本語教育に期待が持てる動きがあることも感じています。日本文化のファンもしくは潜在的なファンは間違いなく増えているでしょう。

 この新しいファン層は第二外国語として日本語を学ぶ学生たちです。もちろん日本語専攻の学生たちよりも学習時間は少ないですが、第二外国語履修生は往々にして楽しんで日本語を勉強しているように見えます。成績そのものに対する焦燥感がなく、卒業後のキャリアに対するこだわりが薄いからかもしれません。

 私は中国やそのほかの国の学生を対象に日本語を教えて20年になりますが、その間に中国の大学生も大きく変わりました。全体的にのんびりした大学生活を送る学生が増えてきたと思います。外国語学習も卒業後のキャリアのためというより、文化交流や人生を楽しむための学習が求められてきているように感じます。どこまで日本語や日本文化にかかわりを持ってくれるかは、個人によりますが、広い意味での日本文化の愛好者が、受験対策の日本語学習者の中から少しでも出てきてくれることを祈ります。

 日本語を学ぶ学生の話も聞いてみました。広東省の名門大学で日本語を専攻する張さんです。

張さん 私は2017年に大学に入学するまで、日本語を勉強したことがありませんでしたし、もともと英語学科を希望していました。ところが日本語専攻になって、当初あまり乗り気ではありませんでした。同級生の多くも同様です。

 ただ、大学4年間を通じて、日本語という新しい世界に触れていくうちに、新しい価値観に触れることができたと思います。今までは英語が外国語の中心でしたが、それとは異なる世界や文化に触れたことは新鮮な体験でした。言葉の意味が持つ新しい世界を発見できたと思います。

 日本語を勉強していた同級生の多くは日本語教師への道を選んでいます。私は日本語学習を通じて再認識した言葉の魅力を世に広める、出版やメディアの世界で就職を目指したいです。日本語を勉強したことが、この人生の選択を決めたのだと思います。

 かつては日本と直接つながるキャリアが中心だった日本語学習者ですが、学習の動機も目的も大きく変わりつつあります。それでも「受験日本語」の学習者たちが今後日中の縁をつなぐ役割を果たしてほしいと思います。

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